「ありのままで生きる」の誤解と本当の意味。

「ありのままで生きる」
よく聞く言葉ですよね。
僕は長年、全く共感していませんでした。
でも僕は、その意味を誤解していました。
今は、「まさにそうだよね!」と確信しています。
今回はその誤解と、本当の意味をお話します。
「ありのままで生きる」への疑問
・ありのままで生きる
・ありのままの自分で良い
・ありのままの自分を愛しましょう
そういう言葉を聞く度に、
「いやいや、無理でしょ!」
そう思ってきました。
だって、僕が「ありのまま」でいたら…
・行動しないし
・寝たいだけ寝るし
・文句ばっかり言うし
・ネガティブ全開だし
・食べたいだけ食べるし
・自分を高める努力もしないし…etc
そんな自分を愛せるはずないし、そんな自分が愛されるはずもない。
そう思っていました。
「ありのまま」の本当の意味
でも僕は、「ありのまま」の意味を勘違いしてたんです。
「ありのままで生きる」って、「何もしない」って意味じゃないんです。
真逆です。
あなたがあなたらしく、素晴らしい人生を送るための力は、何一つ欠けることなく”既に”あなたの中にあります。
「ありのままで生きる」とは、その「生まれ持った力」を発揮するという意味です。
「生まれ持った力」と言われても、ピンとこないかもしれません。
例えば、ヒマワリ。
綺麗に咲いたヒマワリは、元は小さな種です。
でもその小さな種の中に、ヒマワリとして咲く全ての力が、何一つ欠けることなく、”既に”あるんです。
環境とか栄養は、力を発揮するためのものです。
これが、「生まれ持った力」です。
「自分には、ヒマワリとして咲く力がある」と知り、光合成とか色々頑張って、芽を出し、根を伸ばし、つぼみを付け、綺麗な花を咲かせる
これがヒマワリにとって、「ありのままで生きる」ということです。
もしヒマワリの種が、「あたし桜になりたいの」と願っても、絶対になれません。
桜を目指す人生は、苦しいだけです。
もしヒマワリの種が、「バラのほうが皆から愛されている。自分には価値が無い」と比べていたら、幸せになれません。
もしヒマワリの種が、「光合成とか面倒くさいわ〜」と怠けたら、力は発揮されません。
人間も同じです。
他の誰かになろうとせず、
他の誰かと比べず、
自分を諦めず、
「生まれ持った力」を発揮することが、「ありのままで生きる」ということです。
スキルや資格などは、その力を発揮する手段に過ぎません。
人と比べることが減る
「生まれ持った力」と言うと、「あの人には素晴らしい力があるのに、自分には無い」みたいに比べたくなります。
でも「生まれ持った力」を発揮しようとすると、人と比べることがめちゃくちゃ減ります。
人と比べまくっていた僕が、実際にそうでした。
その力が、大きいとか小さいとか、良いとか悪いとか関係ありません。
比べることが減る理由は、「ありのままで生きる」ということが、自然の摂理に沿った生き方だからです。
呼吸でも、姿勢でも、自然の摂理に反すると、苦しいです。
苦しいということは、「どこか不自然になってますよ」というサインです。
やるべきことは、2つ
1.自分が「生まれ持った力」を知ること
2.「生まれ持った力」を発揮すること(発揮しようとすること)
あなたが「生まれ持った力」は、どんな力でしょうか?
「そんな力あるの?」という問いを持ってはいけません。
「どんな力があるんだろう?」という問いを持って下さい。
「ある」ことが前提の問いです。
人の頭は、「与えられた問いの答え」を探しにいきます。
そしてその力を発揮することで、素晴らしい花を咲かせてください。
それは、あなたにしか咲かせることのできない花です。
「生まれ持った力」は、必ずあります。例外はありません。
ただ「それが何なのか?」を知るには、行動が必要です。
まとめ
「ありのままで生きる」なんて全く共感してなかった僕は、その意味を誤解していました。
その誤解と本当の意味、そしてぜひやって頂きたい2つのことをお話しました。
大事なことなので、最後に繰り返します。
あなたがあなたらしく、素晴らしい人生を送るための力は、何一つ欠けることなく”既に”あなたの中にあります。
「ありのままで生きる」とは、その「生まれ持った力」を発揮するという意味です。